桔梗信玄餅の誕生秘話 山梨の超優良企業「桔梗屋」

 

山梨のお土産として一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?

今回は桔梗屋信玄餅開発秘話についてお話ししていきます。

山梨県の桔梗屋は今年で創業130年を迎える老舗企業です。

今回は4代目であり、現在相談役である、

中丸眞二氏(なかまるしんじ) にお話を伺いました。

 

< 目次 Contents >

 

 1.18歳で両親と開発「信玄餅」誕生秘話

 

 2.中丸流成功の秘訣とは?

 

 

 3.桔梗屋の描くこの先

 

 

 

 

1.18歳で両親と開発「信玄餅」誕生秘話

 

和菓子店桔梗屋は戦後直後、

経営状態は年々悪化していました。

 

職人の方はどんどんやめていき、

中丸氏が中学生の頃には、ついに家族経営になっており、

お店が危機的状況であることを中丸氏自身も感じていました。

 

※その頃の両親の口癖は「景気が悪い」だったそうです。

実はその当時洋菓子の「ケーキ」が流行りだした時期でした。

そのようなこと知らずに両親は「景気(ケーキ)が悪い」に

知らぬ間にかけていたことに後々気づいたそうです。

 

そんなある日、父親が町内の方と

「山梨にはお土産になるお菓子がない」

という話をしていました。

 

父親がこの話を家に持ちかえってきたのが

「信玄餅」を作る最初のきっかけでした。

 

当時「月のしずく」というものを

お土産として桔梗屋は出していたものの、

秋ぶどうを使用しているため、

秋から冬までしか製造販売できませんでした。

 

そこで年中販売できるお土産のお菓子

を作ればいけるのではないか

ということで生まれたのが「信玄餅」です。

 

当初、弊社では誰もマーケティングについて知識がなかったので、

どう集客したり、宣伝したりと方法が全くわかりませんでした。

 

しかし、とりあえず店に出して売ると意外と売れ、

売り上げは右肩上がりに伸びて行ったそうです。

 

当時高校三年生であった中丸氏は、

大学でマーケティングを学ぶため、

明治大学に進学しマーケティングについて学びました。

そして卒業した直後、

お店が人手不足で困っていたことに加え、

信玄餅に成長の可能性を感じ、

実家の家業を継ぐために戻りました。

 

 

 

2.中丸流成功の秘訣とは?

 

現在、桔梗屋はお菓子事業を始めとして、

現在【全21事業】を展開しています。

お菓子事業を基本の軸とし、

信玄餅×キットカットのような

他企業の商品とコラボレーションも行っています。

 

また、その他の事業ではテーマパーク事業、飲食事業、

そしてお花屋さんまで幅広く展開しています。

 

そしてほとんどの事業が

黒字経営です。

 

では、なぜ桔梗屋は

ここまで畑の違う業種になっても

成功をおさめているのか?

というご質問をよくいただきます。

その理由は、

お客さんに対しての基盤となる考えです。

その考えとは

お客さんの「不」を取り除くことです。

 

「不」とは不安、不満や不信など

お客さんが抱くようなマイナスのイメージをもつものです。

 

この「不」を取り除くことが

いわゆる顧客満足や消費者志向に繋がり、

よりよい社会貢献ができると考えています。

 

だから中丸氏は「不」を取る作業が実現し、

それによりお客さんは自然と満足することができ、

結果として売り上げにつながっています。

 

 

 

3.桔梗屋の描く未来

 

 

中丸氏はよく人に

「失敗経験はないのか?」と聞かれるそうです。

その質問に対して、

中丸氏はこのように回答されていました。

 

「うまくいかないことはもちろんたくさんある。

 それをやめたらそれは失敗。

 しかしその時はダメでもそこで学び、

 参考にすることでうまく行く方へつながればそれは失敗ではない」

 

とお話しされていました。

 

桔梗屋は、現在中丸眞二さんの息子さんを

6代目として立ち上がらせる準備を行っています。

 

承継においても、桔梗屋は

伝統や、既存の価値観を大切にしながらも、

常に新しい視点、切り口でお客様を「あっ」と驚かせる場

であることを目指しています。

 

そのような会社であり続けるために、

これからも山梨を盛り上げていくという強い想いがありました。

 

中丸眞二さま、素晴らしいお話

ありがとうございました。

 

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